寄付とは?

朝日新聞の元日の記事

「独裁者になりたいよ〜」テレビでニュースを見ていると、つい叫んでしまう。
そんな私が2008年、ついに念願の「一日独裁者」になりました。仕事場をのぞいてみましょう。
 
「薬害肝炎は一律救済の芽はでてきましたが、原爆症の方々にも同様の措置をとりなさい」
「中国残留孤児の方々は誤った国策の犠牲者。裁判なしで、急いで救済しなさい」
「おにぎりが食べたいという遺書は哀れすぎる。生活苦から保護を求める人には給付しなさい」
「年金記録照合に何年もかかる?フリーターをたくさん雇い手伝ってもらいなさい」
「拉致被害者ご家族の辛い思いが長すぎる。独裁者会談をして、私が全員連れ帰る。
日本の強制連行の賠償が先だって言われる?じゃ、お金をたくさん用意して」
側近たちは「国庫にゆとりがありません」と抵抗します。でも独裁者はにこり、
「友人のビル・ゲイツイチロー、松坂、トヨタ自動車の渡辺社長に連絡してください。
みなさん困っている人の役に立ちたくてうずうずしています」
 
さて2008年、苦しむ人を見捨てない政治家が現れることを願っています。
 
2008年1月1日(火) 朝日新聞 東京版 13面 「声」 テーマ「私の夢」 より

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1074980.html
すべて他人の財布をあてにしているのがしているのがミソです。
世の中の金持ちが、貧乏な人や困っている人を救わないのが悪いみたいです。
ここにはお金を持っている人がお金を持っていない人よりも
何倍も考えて、勇気を持ってリスクに打ち勝ち、余暇をすべて削って
努力して来たという事実は、考慮のかけらもありません。
上に出た人は夕飯の後にテレビを見るというゆとりも
すべて削って努力して来た人たちです。
週末のデートも削って、夏の海水浴も冬のスキーも
削って努力して来た人たちです。
自分が政治家になろうとしないあたりも腹が立ちます。
自分の境遇を他人のせいにするのは私は嫌いです。
現れるのを待っているんじゃなくて、自分が変えるんだとなぜ言わない。
自分の現在の境遇は自分で築き上げて来た人生の結末なんです。
こんな人が日本では多すぎるんですよね。ほんと。
何も変えられないどうしようもない人たちです。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1063914.html
この記事からの引用ですけど、

「私は人間の基礎づくりをしようとしているのです。人生の“結果”にはかかわりません」

これは10億円を寄付した人に、お金を恵んでくださいという人が殺到したという
話の結末なんですが、寄付ってこういうものだよねと思います。
未来に対して寄付をするもんだと思います。

ネズミ小僧なんてヒーローじゃないよ。ただの泥棒さ。

私も、脳みそを絞って絞って、事業を成功させ、
将来は地域など私が寄付したいと思えるところに寄付をして、
人間の基礎づくりを支援できるくらいになります。
そして、いろんなことを変えていくために今年も努力していきます。