ラビックスは10周年

そういえば書くのを忘れていたのですが、
株式会社ラビックスは6/1から10期目に入りました。
25歳の時に会社を立ち上げてから、
地方でなんとかITでメシを食うという目標を掲げて、
それでもなんとかやってきました。
社員を雇用してからはなんとかやっていくでは
夢がないので、それなりにプランを立てては
失敗を繰り返しながらここまでやってきている気がします。
思えばあっと言う間でした。
 
時が過ぎるのは早いもので、
え?もう中堅どころの仲間入り??
まだ新規事業者でいたいんですけど。。。。という感じなのに、
気がつけばもうベテラン経営者扱いです。
ここまでいろんな出来事がありました。
全部綱渡りで、ちっともベテランな感じじゃないのに。

2002年ごろ(1期目)

cgi.rbを使って、学会論文投稿システムを作ったのが最初の仕事でした。
このころからRubyを使ったウェブアプリべったりな仕事でした。
当時はオブジェクト指向言語でウェブアプリを作りたかったのですが、
選択肢はJavaを使うしかありませんでした。
コンパイルが20秒かかったので、すぐに諦めて、
イバラの道かもしれないRubyCGIを使うことにしました。
 

2003年ごろ(2期目)

会社を福島県の起業支援室に移転しました。
家の外に出たのはまた違う気分で、心機一転でした。
このころからいろんな人と交流できるようになりました。
ホームページコンテストを開く羽目になり、
泣きながら準備をしたりしました。
この時、ヒモ同然の状態で、
家内に食わせてもらいながら結婚してしまいました。
 
Rubyのコミュニティに顔を出し始めたのもこのころでした。
Rubyでコードを書く仲間を探していましたね。
なんとなく、OSC東京のRubyブース番を募集したので、
手を上げたとき、そこにいたのが中田さんで、
発表したのが永井さんでした。
その後、3人でしこたま飲んだのを覚えています。
当時はRubyを誰が開発しているかなど知りませんでした。
cgi.rbもただの1ユーザーでした。

2004年ごろ(3期目)

初めて社員を雇用しました。
かなり気合が要りましたが、仕事が増えすぎて
もう限界でした。段々と経営を意識し始めていました。
技術者として生きるか、経営者の道を歩むか、
もの凄く悩み始めたのもこのころです。
 
RubyCGIを書くのに自由度が高すぎて、
美しく書く方法を模索していた気がします。
段々とオレオレフレームワークっぽくなってくるのですが、
あまりきれいではなくて納得行かずに戦っていました。
当時はまだウェブアプリフレームワーク
あまりありませんでした。
amritaとかcgikitなどがあったでしょうか。
 
また、このころ、Rubyの会が発足し、
るびまなどが始まりましたね。

2005年ごろ(4期目)

おそらく、時代はSEとか受託開発の絶頂期でしたね。
私も福島大学に張り付いたり、巨大学会の
受付システムやら配布資料の作成などをしていました。
ただ、私は自社システムを持つことに意義を感じていました。
そして、Railsを使わずに素のRubycgi.rbを使って
e-安否のバージョン1を開発しました。
コードも全然綺麗じゃないし、
管理も全然うまくないし、ツールも全然揃っていなくて、
今思うと全然なってなかったなと思います。
 
Rubyのコミュニティに顔を出し始めたのも
このころだったと思います。
なんとなく、OSC東京のRubyブース番を募集したので、
手を上げたとき、そこにいたのが中田さんで、
発表したのが永井さんでした。
その後、3人でしこたま飲んだのを覚えています。
当時はRubyを誰が開発しているかなど知りませんでした。
cgi.rbもただの1ユーザーでした。
 
子どもが生まれました。時間が取れない生活のはじまりです。

2006年ごろ(5期目)

日本Rubyカンファレンス2006が開催されました。
この時にいろんな人とお会いできたのですが、
最大のショックはRails時代の到来でした。
すでにDHHのRails本がリリースされていましたし、
るびまRailsの記事が連載され始めていました。
しかし、私は全然使いこなせていませんでした。
私は自社の今後のプロダクトを
全てRailsに移行することを決めました。
そして、Railsのスキルを身につけるために
ネットワーク応用通信研究所の3日間Railsセミナーを受講しました。
先生がMatzとゆうぞうさんで、サポートが前田さんという
豪華なメンツでしたね。

2007年ごろ(6期目)

身につけたRailsスキルを元に、
e-安否のコードをRailsに移行しました。
ウェブアプリを早く作ることができるようになってきていました。
また、オフィスが手狭になり、西口の起業支援室から出て、
今の五月町のオフィスに移りました。
 
東京のRails勉強会に出ていたのですが、id:yuichi_katahiraさんの呼びかけで、
Rails勉強会@東北をはじめたのもこの頃でしたね。

2008年ごろ(7期目)

商工会議所から優良企業表彰制度で創業者賞を受賞しました。
お盆休みにe-安否の問い合わせをいただいた会社と
打ち合わせをして、今となっては重要なパートナー企業となりました。
 
cgi.rbのRuby-1.9対応とテスト書きをして、コミット権をもらいました。
cgi.rbはこれまでテストは一切なかったのですが、
テストが加わって、レガシーなコードではなくなりました。
上にも書いたようにcgi.rbにはそれなりにお世話になっていましたので。

2009年ごろ(8期目)

Ruby会議の会議スペースを借りて、
突発イベントとして、Ruby親方会議を行ないました。
なかなか盛り上がったと思います。
 
シンガポールの会社と組んで、海外展開を計画しました。
デザイン&SEOメインの社員を新しく雇用しました。

2010年ごろ(9期目)

正式なイベントとして、Ruby親方会議を行ないました。
Rubyとビジネスというのが何となく空気として流れていたと思います。
 
シンガポールの仕事を撤退しました。この仕事は
会社が大分疲弊してしまいました。社員も1人去ってしまいました。
今までで最大の失敗だったと思います。
 
e-安否とはコンセプトが違う、You-OKをリリースしました。
e-安否は企業用の安否確認システム、
You-OKはサークルなどの任意グループ〜中規模の会社まで使える
連絡網システムという位置づけです。
 
社員をTwitterで募集し、Twitter経由で2人応募してきて、
1人を採用しました。
 
会社を有限会社から株式会社に変更しました。
自社製品をサービスするにあたって、有限会社でいるのは都合が悪くなっていました。

2011年(10期目)

震災があって、xibbarが避難民になってしまいました。
会社はこれからどうなるかわかんねっすね。いろんな意味で。
 
子どもが生まれました。2人目は女の子でした。
名前は「てっぱん」からとりました。

総括

こうやってみると、いろいろありましたね。
いろんな人と出会って、
いろんな失敗しながら前進しているのがわかります。
10年も会社を続けられたのも、
運・人との出会いなど、すべてのバランスが
上手いこと取れたんだと思います。
みんなありがとう。