会社を15年続けた感想

5月末日にて、会社の15期が終わりました。 思い出しながら社長としての苦しさがどうなっていったかを書いてみます。

迷わなくなった

技術者 or 社長 ?

会社をやりはじめて、3年目に初めてのスタッフを雇いました。 これから、しばらく迷いました。

私が技術者としてやっていくのか、社長としてやっていくのか どっちもとれるのか、どっちつかずになってしまうんじゃないか。 迷いがありました。

さて、どうなったかというと、やっぱり両方とることにしました。 40歳になったし、好きに仕事をしていきたい。 やりたいことって何だんだろうと思うと、 自社サービスで、成功したいということがあります。 おそらく、社長じゃないとできないし、技術も持っていたい。 さくらインターネットの田中社長みたいな感じでしょうか。

結局、結論は変わらないのですが、これについては悩まなくなりました。

私が社長でいいのか?

似ているようで違う迷いもありました。 それは、社長として相応しいのかどうかです。 リーダーシップとは何なのでしょう。 少なくとも、私が自分でリーダーシップがあると思ったことは皆無で、 小学校の時に放送委員長をやったときが最後で、 それ以降、何かのリーダーたるものをやったことは一度もありませんでした。

さて、その結果、この迷いはどうなったのでしょうか。

私が思うには、こんな社長もいていいじゃないの。です。 とりあえず続いているということは、ダメ社長ではないんだろうと。 みんなスタッフはついてきてくれます。

自分では最高の社長だとは思っていないものの、 まあ、最低の社長じゃないんだろうからいいじゃないの。って感じです。

苦しさに慣れた

売上を上げ続けなければならない

社長というのはプレッシャーがあります。 会社を倒産させるわけにはいきません。 毎年それなりに売上をあげつづけなければなりません。 受託開発が売上の100%だったころは、来月からの仕事をどうするか すごく不安でした。今やっている仕事が終わったら 再来月からの売上がなくなってしまう不安です。

さて、どうしたのかというと、 ストック収入を増やすことにしました。 そのために、自社のサービスを作ることにしました。 現在、「e-安否」「You-OK」「学術集会JP」の3つがあります。 その他、保守の仕事もいくつかあります。 今は毎月の固定売上がそれなりのウェイトを占めます。 そうなると、来月の仕事がなくなったらどうしよう?という 不安はなくなりました。

どうやってお客さんを見つけたらいいかわからない

次に、お客さんの見つけ方がわからないという不安がありました。 私は営業なんて一度もやったことがありませんでした。

Linuxサーバづくりと、RubyPerlを使ったウェブアプリを ちょっとだけできる学生がいきなり会社を立ち上げたもので、 営業の仕方なんてわかりません。 また、飛び込み営業なんて絶対にやりたくありません。 起業してしばらくは人の紹介された仕事ばかりやっていました。 しかし、紹介されなくなったタイミングで会社が終わってしまいます。 最初はたまたまテンポよく仕事できたものの、 仕事が来なくなったらどうしよう。という不安をずっと抱えていました。

この状態を打開するためにどうやったかというと、 ビジネススクールに通ったのが大きかったです。といってもMBAとるようなやつじゃなくて、 もっと現実的なテクニックを学ぶスクールです。 ここで、セールスレターの書き方を学びました。 また、想像していた形とは全く違う営業の方法を学ぶことが出来ました。 飛び込みをしない営業の基本を学ぶことが出来ました。

結果、どうなったか

結果、ストック収入を増やし、営業の仕方を学び、 また受注の仕事も同じところから何度もくるようになり、 売上をあげつづけるプレッシャーも減っていきました。

もちろん、プレッシャーがなくなったということはないのですが、 半分はなくなり、半分は慣れてしまい、苦しさは減りました。

おわりに

今はみんな楽しい。でも、時間は足りなくて死にそうです。

15年というのはそれなりに修羅場をくぐって生き残った会社だけが 到達できる場所だと思っています。短くはありません。 大分走り続けてきた気がしますが、気がついたら15年でした。

15年も会社を続けさせてくれたみんなに感謝します。 40歳になった時はどういう人生なんだろうと想像していました。 そしたら、思っていたときよりも楽しい人生が待っていました。

おわり。