恩師が亡くなったので思い出を書き留めてみる

f:id:xibbar:20171220082408j:plain これは、先日の告別式で、私が読み上げた弔辞を元にまとめたものです。

亡くなっているのが発見される

大学の時の研究室の先生で、うちの会社の株主でもある福島大学名誉教授のH先生が亡くなりました。 12月15日に仙台の自宅で亡くなっているのが発見されました。 どうも、14日の午後の明るい時間に風呂に入り、そこで心不全で亡くなったらしいとのことでした。

研究室に入る

私は教育学部の中学校技術科の出身なのですが、コンピュータをやりたかったので、 情報教育の担当であるH研究室に迷いなく入ったのでした。

先生は元々は照明工学が専門でしたが、 福島大学では技術教育やコンピュータ工学を担当していました。 その後、私が大学院に進んだとき、 すでに定年まで3年しかありませんでしたので、私が最後の大学院生となりました。

この頃は大学発ベンチャーのブームで、定年間際の先生は私が学部生の頃から 「私が福島大学発で最初のベンチャーを出したいんだ。藤岡くんみたいな人がやってくれればいんだよ。」 と言ってました。いろんな人に言っていたとは思うので、みんな軽く受け流していたのですが、 私は聞き流すふりして真に受けてました。H先生は背中を押してくれるかもしれないと思って。

大学院の2年生の秋頃になっても、まったく就職活動をしない私を見て、 「大学院の後の進路はどうするんだ?」という話になりました。2001年のことです。 起業したい気持ちをずっと温めていた私は「起業したい。」と言いました。 「そうか、わかった。」と言って、ここから、福島大学発のベンチャー企業の道がはじまりました。 (厳密に言うと、出口戦略がないので、ベンチャーではないのですが、それは置いておきます。)

起業家支援をしている社長に相談に行く

当時、起業を支援する活動をしている、ある社長がいました。 この社長に二人で相談に行きました。 内容としては、起業したいけど、いきなりは大変だから、御社で修行させてもらえないかという内容でした。 この時に社長から出された条件がとてつもなくこちらに不利な条件でした。 返事を求める社長に対して、「私が持ち帰って考えます。」と言って帰りました。 この後、先生とお茶をしたときに 「いやぁ、藤岡くんが条件飲むんじゃないかと思ってハラハラしたよ。」 と笑いながらホッとした顔をしたのを今でも覚えています。 そして「こんな条件を飲むくらいなら会社を作ろう!」と強く言ってくださいました。 お互いに、会社を作るための本気のスイッチが入ったのはこの時でした。

資本金を集める

有限会社にすることが決まってから、学内を回って、出資金を集める活動をしました。 学内の出資してくれそうな先生のところを回って、資本金を集めました。 そして、大学院を修了後の2002年の6月に会社を登記してラビックスは始まりました。 出資額もバラバラになったのですが、資本金は333万円、出資者11人で有限会社ラビックスを登記したのでした。

最初の仕事

登記より少し前の3月。大学院の修了式の少し前です。 この年の3月に先生から、仕事を紹介するから一緒に仙台に行くぞという話になりました。 到着した会社はある印刷会社、社長は先生の義弟でした。 依頼は学術集会の電子投稿システムを作りたいという話でした。 この時に作ったシステムが私の最初の仕事となりました。 弊社は今でも学術集会の受付システムを業務としてこなしていて、 この会社とは強い協力関係にあります。

会社も15期が過ぎた

弊社こと、ラビックスは今年で15期を終了しました。 会社経営というのは順風満帆とはいかないもので、山あり谷ありなのですが、 なんだかんだと15年も経過しました。

その間、株主総会の案内は毎年してました。 株主総会で報告をする度に「うまくやっているんだったらそれでいいんだ。」 「困ったことないか?」と気にかけていただいてました。

ただ、弊社が仙台から福島に再移転してからは先生は株主総会からは遠ざかっていました。 「私も段々と高齢になってきたから、今度福島に行ったら顔を出すからよろしくやってよ。」と 言われてました。

春の叙勲を受ける

福島大学での長年の功績をたたえ、春の叙勲で瑞宝中綬章を受章されました。 福島で受章記念パーティーがあったのですが、 ちょうどこの日は弊社の15周年記念イベントだったので、 私は出席できなかったのでした。 先生は株主総会に行かなくても、この時藤岡に会えればいいやと思っていたようです。 結果、タイミングが合わずに会えなかったのでした。

最後に

最初、二人三脚で始めた会社も15年が経過しました。 気がつくとそれなりに長くなりました。そして先生もだんだんと高齢になってきているのも感じておりました。 先生の健康はいつも気にかけてはいたのですが、近年はゴルフなどをして、 悠々自適な生活をしているとお聞きしたいたのでちょっと安心していたところでした。

今回、先生とは突然のお別れとなってしまったのですが、 会社の方は元気に活動しています。 しっかりと経営していくことが、先生の恩義に応える唯一の方法だと思って、 気を入れ直すのでした。